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【浦和】移籍を明言した永田充。指揮官もフランツと呼んだ実力派CBがこの6年に思うこと

12/5(月) 12:03



 浦和レッズの守備陣において、近年ではバックアッパーという存在になっていた永田充が、今季限りでの退団を明言した。
 
 12月3日のJリーグチャンピオンシップ決勝第2戦を終え、敗れたことで浦和の今季日程は終了した。翌4日はチームとしての最終日となった。そのため、ミーティングを終えた選手たちは大原サッカー場のクラブハウスからオフに必要な荷物などを整理して運び出す。シーズンの戦いが終わったのだと、取材をしている側も実感していく一時だ。
 
 永田もまた、他の選手たちと同じように荷物を運び出していた。ピッチを少し離れたところでは、柔和な表情と穏やかな雰囲気を持ち、取材をしているこちらも自然と笑顔になることが少なくなかった。その男は、この日も荷物を持ってクラブハウスから出たところで自動車のカギを忘れたことに気づき、Uターンを余儀なくされて照れ臭そうに笑っていた。
 
 そして、それが一段落したところで取材に応じた。その日の朝、一部報道でJ2の東京ヴェルディへの移籍が報じられていたからだ。単刀直入な質問に対し、永田は丁寧に答えていった。
 
「ちょっと出場機会を求めたいという思いはありますし、もう一回チャレンジしたいという思いもあるので、行くと思います。まだ決まってないですけど、そうなると思います」
 
 永田が浦和にやってきたのは2011年シーズンだった。アルビレックス新潟で守備の要として活躍し、日本代表の一員としてアジアカップに参加した後に浦和にやってきた。ゼリコ・ペトロヴィッチ監督体制の浦和は残留争いに身を投じる苦しいシーズンになり「大変な時に来てしまったかなとは思いましたけど、自分も出ていたので責任は感じましたよ」と、苦笑いしつつも振り返った。この年、永田はリーグ戦の全試合にフル出場していた。
 
 その翌年にやってきたのが、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督だった。最終ラインからのパスワークと、正確なサイドチェンジを要求されるサッカーは、元よりセンターバックとしては稀有なキックの技術を持つ永田にピタリとハマった。
 
 トレーニングではペトロヴィッチ監督から「フランツ!」とニックネームで呼ばれた。最終ラインでのプレーが、かつての西ドイツ代表の名選手であるフランツ・ベッケンバウアー氏を思い起こさせたからだという。12年もレギュラーとして活躍し、浦和の最終ラインの顔だった。
 
 しかし、ここから永田には苦しい時期が続いた。13年も開幕スタメンを勝ち取っていたが、古巣との対戦となった3節の新潟戦で負傷してしまった。その間に、新加入の那須大亮が3バックの中央に君臨した。セットプレーでの得点力もある那須の前に、永田の居場所は少なくなっていった。
 
 それでも、チャンスがないわけではなかった。
 
「監督は、何度も使おうとしてくれていると感じていたんです。僕自身が結果を出せなくて、非常に自分に不甲斐ない気持ちでいましたし、このチームでもっと結果を出して貢献したかった」
 
 リーグの中断期間や天皇杯の前など、少し期間が空いた時には必ずと言っていいほど永田をレギュラー組に入れてトレーニングしていた。しかし、そのたびに、今も苦しむ膝の負傷などがあり、チャンスを掴み切れなかった。
 
 那須はこれまで幾度となく「(永田)充がいるからレギュラーが安泰だなんて思えない。危機感しかない」と話していた。それだけ認められる存在でありながら、ピッチに立つ機会は減少の一途をたどった。
 



 来年4月で34歳を迎える。だからこそ、サッカー選手としてもうひと花を咲かせたいと思うのは自然なことだ。
 
「(浦和に)6年間いましたけど、サッカー選手としても人間としても成長できたと思う。そこは本当に感謝しているし、これからが本当に大事になると思うし、新しいチームに行ってもここで得た経験を生かしてやりたい。ずっとタイトルを逃してきて、出場機会もそんなに……。終わりの方は出られなかったし、悔しさもありますけど、みんなと積み重ねてきた過程は充実していたし、必ずこのチームは来年結果を出すと思う。外からになっても応援したい」
 
 それでも、ほんの少しばかりの後悔は、「本当に怪我ばかりして貢献できなくて申し訳ないんですけど、それでも応援してくれている人がいて」というサポーターに、最後にピッチに立つ自らの姿を見せられなかったことだ。だからこそ、新天地での活躍を決意している。
 
「埼スタは入場の時に本当に熱くなるものがあるし、あの雰囲気でもう一度やりたい。でも、結果を出していけば自然とまたレッズと対戦することもある。それを目標にやっていきたい」
 
 浦和での6年間は、決して完全燃焼ではなかったのかもしれない。それでも、永田が浦和に残したものは決して小さくはなかった。静かに浦和を去る実力者は、新天地での出直しを誓っている。
 
取材・文:轡田哲朗(フリーライター)
 






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