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子供を見殺しにしたのは誰―? 元職員が明かした、児童相談所の非情な現場

ダ・ヴィンチニュース
10/11(火) 06:30
『告発 児童相談所が子供を殺す(文春新書)』(山脇 由貴子/文藝春秋)

 ニュースで「児童虐待」の文字を目にする度に、いやな気持ちになる。なぜ、将来を切り開いてくれる子どもたちが虐待という仕打ちを受けなければならないのか。大人が手を差し伸べることはできないのか。



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 虐待をはじめ、発達障害、子育て、非行など0~18歳未満の子どもに関する全ての相談を受ける公的な相談機関に「児童相談所」がある。厚生労働省は、児童相談所の虐待に対する取り組み強化のための法改正を繰り返してきた。児童相談所の職員は年々増えている。にもかかわらず、虐待死が収まる気配はない。なぜか。問題は児童相談所の数や人員数ではなく、機関そのものの体質にあるからだ、というのは『告発 児童相談所が子供を殺す(文春新書)』(山脇 由貴子/文藝春秋)。著者は、都内児童相談所に心理の専門家として19年間勤務した、児童相談所の裏側を知り尽くす人物で、本書の内容は児童相談所の衝撃的な実態を“告発”するものだ。

 児童相談所に相談が入ると、その案件は、児童福祉司がトップに立って解決に当たっていくことになる。本書によると、児童福祉司の権限は“絶対的”。案件は基本的に管理職に詳しく報告する必要はなく、指導の内容は著しくプライバシーに関わるため、よほどの重大案件以外はマスコミに公表されることもない。ときに子どもと親の将来を左右するほどの重大な決定権を持つ児童福祉司だが、「子どもや相談に関する専門家」ではなく、じつは「普通の公務員」であることは、あまり知られていない。

 本書によると、児童福祉司は、精神保健福祉士や社会福祉士といった「士」のつく資格職とは性質が根本的に異なる。児童福祉司は、地方公務員試験を受けて役所に入った普通の公務員が、人事異動で配属されて、簡単な研修を受けただけで就く役職なのだ。そして、数年そのポジションを務めたら、他へ異動していくという。本書は、性的虐待の疑いで保護になった小学生女児の担当児童福祉司が、案件の方針決定会議の場で「この家庭について、責任を持ち、指導します」と言った翌年に、児童相談所ではない所へ異動になった事例を挙げて、こんなことが日常茶飯事であると赤裸々にしている。

 百歩譲って、専門知識やスキルは乏しくとも、児童相談に対して真剣で熱意ある児童福祉司が多ければ、児童虐待は減少するのかもしれない。しかし、残念ながら現実はそうではないらしい。誰もが虐待を防ぐ、なくす確実な手段なんてわからない。児童福祉司は足繁く家庭に通ったり、親の罵詈雑言や憎悪を受け続けたりする、肉体的にも精神的にも相当な激務である。だが、虐待に関するニュースが流れるとき、児童相談所はマスコミや世間に責められる憂き目にあう。児童福祉司という“一般の事務職”が、誰もが「働きたくない場所」に押し込まれ、心身ともに疲弊していく中で、仕事へのモチベーションを保つことは困難だ。結果、構造的に「保身」「トラブル回避」「ことなかれ主義」という“小役人根性”の児童福祉司ばかりになってしまう。

 このような構造的背景から、多くの児童福祉司は、虐待など面倒な親と悲惨な状況に置かれた子どもがいると、迷わず面倒な親の側に立って、子どもを見捨てるのだという。さらには、所内でセクハラ・パワハラを繰り返したり、性的な非行の問題を起こした中学・高校の女子に「最後の生理はいつだった?」としつこく質問する男性児童福祉司、虐待の対応方針を決める「緊急受理会議」が終わった直後に職員大勢の前で「緊急受理会議っていうのは楽しいね」と笑いながら言う児童相談センター所長など、人格を疑わざるを得ない少数の職員が、職場の意欲をさらに下げる。

 ところで、児童福祉司がもっとも受けたくないのが「虐待」の相談だと著者は語る。理由はいくつかある。まず、解決への進め方や手続きが煩雑なことが挙げられる。児童福祉司は前述のとおり全てを決定できるほどの絶大な権限を持っているが、虐待に関しては管理職のチェックを受ける必要がある。経過報告が求められるため、放置できない。また、終了させるにしても、他の相談に比べるとハードルが高いという。そのため、できるだけ「虐待ではない相談」に切り替えたいという心理が働く。具体的には、近隣住民から「虐待」の通報があって親を訪問したときに、親が子育てに困っていて相談の意志がある場合、多くの児童福祉司は「虐待相談」を終了し、「しつけ相談」や「性格行動相談」に切り替えるという。こうすれば、進め方は全て児童福祉司次第であり、管理職からノーマークとなる。終了の仕方も、「お母さんに相談の意志が無くなった」だけで十分らしい。

 児童福祉司がこれ以上に「虐待」の相談を受けたくない理由は、「親との敵対」であるという。虐待をする多くの親にとって、児童福祉司とは問題を解決してくれる者ではない。自分を否定する者、子どもとの間を引き裂く者なのだ。児童福祉司が家庭を訪問した際、「虐待を疑われるなんて心外だ」と怒鳴る、脅迫めいたことを口にする親は少数ではなく、場合によっては訪問の後日、「児童相談所が虐待を疑ったせいで、妻がうつ状態になった。責任を取れ。謝罪に来い」という逆ギレもあるという。「虐待」の相談を受けるということは、苦情対応が増えるとともに大きな心的ストレスを抱え込む、ということなのだ。

 本書は、児童相談所の実態を辛辣に批判しているが、だからといって全ての児童福祉司を否定しているわけではない。そもそも、地方自治体の一組織、公務員採用試験に受かった人間の一異動先であることに構造的無理があると指摘している。このままでは厚生労働省が法改正を繰り返しても、児童相談所は虐待の専門機関にはなり得ないという。本書は、早期に児童相談所を虐待の取り組みに特化した専門組織として作り直すと同時に、養成プログラムの充実を図るべきだと提唱している。

文=ルートつつみ

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