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長女への暴行容疑で逮捕され、その後釈放された巨人・阿部慎之助前監督の復帰を願うオンライン署名が13万筆を超えた。当初の目標だった巨人の本拠地・東京ドームの収容人数4万3500人を大きく上回る反響となった。【久保田龍雄/ライター】
【写真】強敵・西武ライオンズとの交流戦を制した巨人の選手たち
阿部前監督のファンという理由だけでなく、家族関係の修復や再起を願う声もあったとみられるが、賛否を含めて大きな反響を呼んだことは間違いない。改めて、世間の野球に対する関心の強さが浮き彫りになった。
プロ野球界では、阿部氏以前にも、さまざまな署名活動が繰り広げられてきた。
署名活動など30年以上にわたり、多くの関係者やファンの協力・支援を得て、永久失格処分、いわゆる永久追放が解除されたのが、元西鉄のエース・池永正明氏である。
西鉄時代の1970年、プロ野球関係者が敗退行為、いわゆる八百長に関与したとされる「黒い霧事件」で、池永氏は八百長への関与を一貫して否定した。しかし、依頼金とされた100万円を受け取り、返済しなかったことが問題視され、敗退行為への関与を認定された選手たちとともに、永久失格処分を受けた。
球界を代表するエースへの厳しい処分には、当初から否定的な声も多かった。処分決定直後には、早くも球界復帰を願うファンの署名運動がスタートしている。
その後も、1999年には西鉄OB会がプロ野球関係者として初めて、機構側に池永氏の名誉回復を願う嘆願書を提出した。2001年には、プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズ・稲尾和久監督が「もう一度マウンドに立たせてやりたい」とチームの一員に迎え入れたことも、復権運動への大きな追い風となった。
これに対し、NPB側は「名誉回復は過去の事実をないものにしてほしいということ。歴史、つまり過去の裁定を裁くことはできない」という基本姿勢を守り続けた。
だが、2004年に就任した根来泰周コミッショナーが「永久追放というのはちょっと」と処分解除に前向きな姿勢を示したことで、事態は急展開を見せる。
翌05年3月に野球協約が改正され、永久失格処分を受けた者は15年経過後、本人からの申請を受けて、コミッショナーの判断で解除が可能になった。これを受けて、池永氏も同年4月25日、「深く反省し、正業に就いて善行を保持している情状を酌むべきところがある」として、35年ぶりに処分を解除された。
当時の池永氏は「うれしい半面、気を引き締めていかないと、という気持ち。一番に報告したいのは母です。支援者の方も喜んでくれている」と率直な心情を吐露している。
2004年の球界再編問題に際しても、さまざまな署名活動が行われた。
同年6月、球団の赤字が年間約40億円に上る近鉄が、オリックスとの合併に同意したと報じられたことが、すべての始まりだった。
その後、7月のオーナー会議で近鉄とオリックスの合併は事実上容認され、さらにパ・リーグでもうひとつの合併を進め、10球団による1リーグ制へ移行する構想が浮上した。オーナー主導の再編構想に納得できない近鉄の選手たちは、ついに立ち上がった。
7月16日のダイエー戦前、礒部公一選手会長をはじめ29人の選手がユニホーム姿で地元ファンに街頭署名を呼びかけ、20分で約1200人の署名が集まった。
同23日には、当事者以外では初めて中日選手会も署名活動をスタートした。その後、オリックス、横浜、阪神、巨人など、全球団に署名活動の輪が広がっていく。
選手とファンが一体となった“共闘”は大きな力となり、NPB史上初のストライキ、新球団・楽天の参入などを経て、最終的に12球団による2リーグ制存続が実現した。
翌05年、ロッテの投手・小宮山悟もソフトバンクと優勝争いを繰り広げていたシーズン中、「去年の球界再編問題でたくさんのファンの方が応援してくれたお陰で、2リーグ制存続を保てたことがとても大きいので、すべてのファンのためにも頑張らなきゃと思っています」と語っている。現場の選手が、ファンの存在の大きさを肌で感じた出来事でもあった。
監督辞任が決まった後も、退任を惜しむファンが残留を求める嘆願署名を行ったのが、ロッテのボビー・バレンタイン監督である。
1995年、バレンタイン監督は就任1年目でチームを2位に導いたが、広岡達朗GMとの確執により、オフに退任が決まった。
だが、ファンサービスに積極的だった同監督のわずか1年での退団を惜しんだマリーンズファンが、続投を求める嘆願署名を開始。3週間で約2万人の署名が集まった。
2004年、9年ぶりにロッテへ復帰したバレンタイン監督は、翌05年にチームを31年ぶりの日本一へ導く。しかし、08年オフ、5億円とも言われる高年俸がネックとなり、翌09年限りでの契約打ち切りが決まった。
すると、シーズン開幕後の6月、残留を望むファンが10万人を超える署名を集め、重光武雄オーナーに提出。改めてボビー人気の根強さを証明した。
同監督は同年限りで退団したが、「ファンの情熱の表れと感謝している」とエールを送っている。
このほか、1985年のキャンプイン目前に西武への電撃トレードが決まった中日・田尾安志をめぐっても、地元・名古屋のファンがトレード撤回を求める署名運動を展開した。
2006年オフにFA宣言した広島・黒田博樹も、残留を願うファンが本拠地・広島市民球場に掲げた横断幕や、「一緒に優勝しよう」という残留希望の署名に心を揺さぶられ、“男気残留”した話が知られている。
もちろん、署名活動が常に望んだ結果を生むわけではない。むしろ、結果だけを見れば実らなかった例も少なくない。それでも、個人の問題意識を数と声に変え、社会や球界に問いを投げかけるという点で、署名活動には大きな意味がある。冒頭で紹介した阿部前監督も、13万筆を超える署名によって、少なくとも多くのファンが再起を望んでいることは可視化された。監督復帰の是非とは別に、署名が持つ力を改めて実感させる出来事だった。
久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)
デイリー新潮編集部