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〈プーチン最大の誤算…クリミア「不沈の要塞」が巨大な牢獄に ガソリン価格は闇市場で2倍に「ロシア将校は家族と財産を本土へ」の地獄絵図〉から続く
ロシア軍で相次ぐ将官の逮捕、腹心セルゲイ・ショイグ前国防相の更迭、そして軍歴のない経済学者アンドレイ・ベロウソフ氏の国防相起用――。一見すると脈絡のない人事の裏側には、ウラジーミル・プーチン大統領が「誰を信じ、誰を恐れているのか」が浮かび上がる。なぜロシア軍では真実よりも「耳あたりの良い嘘」が優先されるようになったのか。クレムリンで進む権力構造の変質を、人事と組織の視点から読み解く。
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プーチンが軍の最高幹部と顔を合わせる回数を大幅に減らしている。
この一点に、いまのロシアという国家が抱える病巣のすべてが凝縮されている。指導者が現場の人間と会わなくなるとき、その組織はすでに死につつあるのだ。
人事とは、突き詰めれば「誰の言葉を信じるか」という意思決定の連続である。
トップが誰を引き上げ、誰を切り捨て、誰に報告させるか。その配置こそが、その指導者の見ている世界そのものを規定する。
そしていま、クレムリンの人事は、プーチンが現実から組織的に遮断されていく過程をそのまま映し出している。
象徴的な事件は2024年5月に起きた。2012年から12年間にわたって国防相の座にあったセルゲイ・ショイグが、事実上更迭されたのである。
ショイグはプーチンの個人的な狩猟仲間であり、長年にわたって権力の中枢に座り続けてきた腹心中の腹心だった。その男が外された。
表向きは国家安全保障会議書記への横滑りだが、これが栄転でないことは誰の目にも明らかだった。
注目すべきは、その解任のタイミングである。ショイグの副官であったティムール・イワノフが汚職容疑で逮捕された直後だった。つまりプーチンは、軍内部に巣食う腐敗を一掃するという名目で、最も親しい友人の首をすげ替えたのだ。
友人であろうと聖域は設けない。この冷徹さは、プーチンの強さの表れではない。むしろ、もはや誰も信用できなくなった指導者の孤独の表れである。
長く権力を握り続けた指導者ほど、側近の忠誠を疑い始める。30年近く頂点に座り続けたプーチンにとって、最も親しい友人すらも、いつ自分を裏切るか分からない潜在的な脅威に見えているのだ。
ショイグの後任に座ったのが、アンドレイ・ベロウソフだった。この人事こそが、プーチンの苦境を最も雄弁に物語っている。なぜなら、ベロウソフは軍人ではないからだ。
ベロウソフは一度も軍隊で過ごした経験を持たない、純粋な民間人の経済学者である。国防という国家最大の暴力装置のトップに、銃を握ったことのない人物を据える。これは平時であればありえない異常な人事だ。
ベロウソフは市場原理よりも国家主導の経済を信奉するケインズ主義者であり、プーチンの経済補佐官や第一副首相を歴任してきた。
2014年から2016年のルーブル危機を乗り切った実績を持ち、大企業に「超過利潤税」を課すべきだと唱え、国家と企業の関係は「シニアパートナーとジュニアパートナー」であるべきだと主張する。要するに、戦時経済を強権的に統制するための財務管理者である。
プーチンはもはや国防省に軍事的な勝利を期待していない。彼が求めているのは、膨れ上がる戦費を効率的に管理し、腐敗した会計を透明化する役割なのだ。
この人事の背景にある数字を見れば、プーチンの計算が透けて見える。
ロシアの国防支出はGDPの約7.4%にまで膨張した。これは国家そのものを崩壊させた1980年代半ばのソビエト連邦に匹敵する、危険水域の数字である。ベロウソフ自身が、特別軍事作戦だけで11.1兆ルーブル、GDPの5.1%を消費していると暴露している。
ルーブル高、原油安、制裁という、いわゆる“毒の混合物”のなかで、この水準を維持するのは至難の業だ。プーチンは、経済の専門家に予算を握らせれば軍の非効率は解決すると信じている。
だが、これは致命的な錯覚である。なぜなら、ベロウソフには軍事的な専門知識がないからだ。彼は予算の執行状況については正確なデータをクレムリンに届けられるだろう。
しかし、前線で何が起きているのか、作戦が成功しているのか、兵站が崩壊していないのか、その判断は依然として既存の軍官僚たちの報告に依存せざるをえない。
つまりプーチンは、財布の中身は正確に把握できるようになったが、その金で買った戦争の中身については、相変わらず嘘で塗り固められた報告書しか手にできないのである。
経済の透明化と戦況の不透明化が同居する。これがベロウソフ起用の最大の矛盾だ。メガネをいくら直しても、目をつぶっていては何も見えない。そんな当たり前のことがわかっていないのだ。
「その嘘を製造している」とも言われる中心人物が、参謀総長ワレリー・ゲラシモフである。
彼が更迭されずに居座り続けていること自体が、ロシア軍の病の深さを示している。ゲラシモフら軍のトップエリートの主要任務は、いまや「軍事的な戦果について嘘を吐くこと」へと変質した。
その典型が、占領宣言の異常な反復である。ロシア政府高官は2026年4月1日に「ルハンシク人民共和国」の解放を宣言したが、これは3回目の「完全制圧」発表だった。
2022年7月にショイグが、2025年6月に現地トップが、すでに同じことを宣言している。同じ土地を3度征服する軍隊など、この世に存在しない。存在するのは、同じ嘘を3度報告する組織だけだ。
クプヤンシクの制圧をめぐっても虚偽報告が繰り返され、親露派の軍事ブロガーでさえ公然と批判の声を上げている。身内さえ呆れる嘘が、平然とクレムリンに届けられているのだ。
なぜ将軍たちは嘘をつくのか。理由は単純である。本当のことを言えば殺されるからだ。
これは比喩ではない。2023年6月に軍上層部を批判して武装反乱を起こした民間軍事会社ワグネルのプリゴジンとウトキンは、わずか2カ月後、搭乗機が空中で爆発して墜落死した。
前線の惨状と上層部の失敗を直言して解任された第58軍のポポフ少将は、その直後に「詐欺」容疑で逮捕された。Zブロガー(親露派インフルエンサー)たちはこれを「権力者に真実を語った罰だ」と評している。
ポポフはその後、受刑者で構成され、戦場死亡率の極めて高い「刑務所突撃部隊」の指揮官に任命されることになったが、世論の反発からそれを免れ、刑務所へ行くだけで済んだ。とはいえ、ロシアの刑務所での死亡率は高い。
弾圧は末端にも及ぶ。軍の状況に異議を唱えたりした兵士や無謀な命令を拒んだ兵士を、指揮官が「ゼロ化」と呼ばれる部隊内処刑で抹殺するという報告が、兵士やその家族から相次いでいる。上から下まで、嘘をつかぬ者が消されていくのだ。
人事のもう一つの闇が、FSB(ロシア連邦保安庁=旧ソ連のKGBの後継組織として知られる、ロシア連邦の強力な治安・情報機関)による軍部の粛清である。
2022年の本格侵攻開始以来、汚職や詐欺などの容疑で少なくとも16人の将官が逮捕された。かつて不可侵とされた高位の将軍たちが、昇進や契約、数十億ルーブルの予算を握っていたことを逆手に取られ、FSBの標的になっている。
FSBは「コンプロマート」、すなわち弱みを握っての恐喝を常態化させ、軍をマフィア的手法で支配している。
将官たちは、前線の失敗や後方支援の崩壊といった「悪い報告」を上げれば、その責任を問われて汚職などの別件で逮捕されるという強迫観念に苛まれている。
恐怖が能力に取って代わったのだ。指揮系統全体がパラノイアに陥っている。正しい報告をするインセンティブは完全に消滅した。残ったのは、耳あたりの良い嘘を上へ流し続ける人々だけである。
この構造を制度として固定したのが、軍に関する「虚偽情報」を広めた者に最長15年の禁錮刑を科す法律だ。独立系メディアは沈黙し、自国の敗北を事実として報告するジャーナリストや士官は逮捕される。親露派の軍事ブロガーでさえ、検閲の枠内でしか発言できない。
スターリン時代の「大粛清」の再来を危惧する声まで上がっている。クレムリンには、幾重ものフィルターで濾過された心地よい情報だけが届く。
ここに、プーチンの人事の本質が見えてくる。彼は腹心の友を切り、軍人でない会計係を国防相に据え、嘘つきの参謀総長を温存し、FSBに将軍たちを脅させている。
これは強い指導者の采配ではない。誰も信じられず、現実を直視する勇気を失った権力者が、恐怖だけで組織を縛り上げている姿だ。
人事は嘘をつかない。どれほど勇ましいレトリックを並べても、誰を信じ、誰を恐れているかは、配置に表れる。会計係に国防を任せ、嘘つきに戦況を語らせる国家が、長期の消耗戦を勝ち抜けるはずがない。
文/小倉健一 写真/shutterstock