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「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」(ジョン・アクトン)
これは、「自戒をこめて」の発言である。筆者もまた、主権者のひとりとして、1億分の1の責任を担う。
英国の歴史家ジョン・アクトンは、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」と述べた。日本の主権者は国民である。国民が権力の主体である。
ということは、国民という権力もまた、腐敗しないものだろうか。国民が絶対的権力を担うようになれば、この絶対的権力もまた、絶対に腐敗するのではあるまいか。
2024年に発生した悠仁さま東京大学進学反対オンライン署名活動は、仄聞するところによれば、1万2000筆の署名を集めたとされる。しかし、これは、悠仁さまが学校推薦型選抜を利用して東大入学を目指すとの憶測に基づいて行われたものであった。
そこに根拠はない。これは、一種の集団精神病理現象である。群集心理というものがいかに危険か。それは、扇動によって、一過性の熱狂が発生し、集団の圧力をもって心理的公開処刑を行い、ひとりの人間の尊厳を踏みにじる。
かつて、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、ポピュリズムのはらむ衝動性と情緒的判断のリスクを指摘した(『大衆の反逆』)。この予言は、100年の歳月を経て、極東の島国で正確に的中したようにみえる。
精神科医として思春期臨床に長年従事している立場からすれば、子どもがいじめられているときに、親としてとってはならない最悪の対応が「長い物には巻かれろ」という姿勢である。いじめ被害者は、絶望的な気分でいる。自分がいくら被害を訴えても、級友も、担任も、校長も、皆、見て見ぬふりをしている。このときに、親もまた自分の味方にならないと思えば、この世に住む場所がないとすら思うであろう。
この点に関して、紀子妃殿下は「バッシング」と表現なさり、秋篠宮皇嗣殿下は「いじめ」とおっしゃって、正しく抗議の意思をお示しになった。これらは、平素、自由なご発言が許されないお立場の御夫妻にとって、限度いっぱいのご意思表明である。
森鴎外の『最後の一句』では、父の無罪を信じる娘が生殺与奪の権を握る大坂町奉行に対して、最後に一矢を放つ。この一矢は、オンライン署名騒動においては、ほかならぬ私たちに向けられていると理解すべきである。
私たちこそ、権力の主体である。私たちこそ、秋篠宮ご夫妻に問われている。お二人のお言葉を、これ以上にない深い反省をもって受け止めなければならないはずである。
いじめ問題に関しては、この連載「医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から」で何度も取り上げている。親御さんに申し上げたいことは、子どもがいじめられているとき、負け戦になる可能性があっても、親として子どもの側に立つ姿勢を示さなければならないということである。リスクを冒してでもご両親として毅然とした態度をお示しになった秋篠宮殿下ご夫妻は、いじめ被害者の親にとってお手本となろう。
署名した1万2000人が、主権者の民意を反映しているとはかぎらない。署名は、国民の1万分の1である。これが国民の総意かは、疑問がある。
そもそも総意である以前に、根拠のない憶測に基づく行動にすぎないであろう。関東大震災の際は、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴動を起こしている」といったデマが広がり、不安や恐怖に駆られた民衆が虐殺事件を起こした。今回の署名にしても、情報の不確実さや一時的な熱狂に翻弄され、1万2000人が集団となって異常な信念を作り上げてしまった。
しかも、この1万2000という数値は、インターネット上でのエコーチェンバー現象によって増幅され、署名者の意思を超えて、あたかも国民の総意であるかのように喧伝されていった。
オンライン署名は、民主的な意見表明を装っている。しかし、署名した人の多くは、客観的に情報を分析し、熟慮を重ねた上で、署名したわけではなかろう。
おそらくは、「いいね」ボタンを押すほどの気軽さで、興味本位で固有名詞を記してしまった人もいたであろう。署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」は、「オンライン署名への賛同には、居住地の入力が必要です。Change.orgでは、番地の入力は必須ではなく、郵便番号と市区町村名のみで賛同が可能です」としているので、氏名に加えて、個人情報を郵便番号、市区町村名程度は入力してしまったことであろう。
署名は無記名投票とは異なる。SNSで「いいね」を押すのとは、意味合いが異なる。
署名とは、氏名を明らかにしたうえで、自身の意見を公然と示し、その意見に対する責任を自ら引き受け、政策への影響を意図して、直接行動に出るものである。その後、個人情報が公にされ、発言の責任が問われることは、当然覚悟しなければならない。
しかし、オンライン署名については、人と人との対面での接触がないため、心理的ハードルが下がる。署名の誘いがSNSのシェア機能等で拡散されて流布するため、軽率に署名する人も出てきてしまう。
署名数がふえれば、集団心理の追い風を受けて、いっそうハードルが下がる。特に、署名の内容が人間の嫉妬心を刺激するようなものなら、冷静な判断力は奪われる。結果として、責任を自覚することなく、感情に流されて、署名してしまう。
それにしても、1万2000人の署名者のなかに、自らの氏名を明らかにしたうえで、なぜ、悠仁さま東大進学反対の署名をしたのかを説明できる人はいるのだろうか。悠仁さまが東大の学校推薦型選抜を利用するとの主張を、証拠をもって1億の国民に証明してみせる人はいるのだろうか。
自ら署名したのであろうから、それを説明する責任はある。しかし、その責任を自覚している人は少ないであろう。
今後、風向きが変わって、今度は国民の圧倒的多数派が、無責任な署名をした1万2000人の一人ひとりの責任を問い始めるかもしれない。サイバー空間でブーメランが反転して、署名者の方に一斉に向かってくるかもしれない。
日本の人口は、オンライン署名した人の1万倍である。国民の1万分の1にすぎない署名者の個人情報は、どのようになるのだろうか。
Change.org上ではすでに署名した人の名は見られない。個人情報取扱事業者は、署名者の情報を目的外に使用したり、第三者に提供してはならないとされる。したがって、プラットフォームが、本人の同意なく氏名を公開したり、漏洩させたりすれば、プライバシー権侵害とされる可能性がある。ただし、紙ベースの署名簿と異なり、署名がデジタル情報なので、一瞬で拡散されるリスクはある。
そうなると、署名した人が後になって個人情報を削除しようにも、完全な収拾は困難になる。検索エンジンは、リベンジポルノや誹謗中傷に対して削除依頼を受け付けているが、それでも完全な削除は難しい。ここにいわゆるデジタル・タトゥー問題が発生する。
加えて、皇室については、いつの時代にも熱狂的な擁護者がいる。1961年(昭和36年)には天皇に対する不敬を理由にした殺人事件(嶋中事件)が起きている。今後、進学反対運動に署名した人が激しい敵意を向けられる可能性もある。WEB上で執拗なバッシングの標的になるかもしれない。
署名者が、もし、千万人と雖も我往かん(せんまんにんといえどもわれゆかん)の覚悟を持って署名したのなら、毅然とした態度で通せばよい。しかし、そうでないのなら、1億の、耳をろうせんばかりの非難にどう耐えるかという問題になる。
筆者はオリンピックの際に、「ネット民こそ最強のパワハラ上司」であると述べた(「〈ネット民こそ最強のパワハラ上司!〉パリ五輪で露呈、アスリートの「名言」や「感謝の言葉」を求め過ぎていないか?」)。この点は、今回のオンライン署名騒動にも言えよう。一人ひとりは、さして悪気もない善男善女であろう。しかし、集団をなせば権力を持ってしまう。
その一方で、国民は一枚岩ではない。署名運動に嫌悪感を募らせていた人もきわめて多い。次は、この人たちが結集して、国民全体の1万分の1にすぎない署名者に対して、「最強のパワハラ上司」としてふるまい始めるかもしれない。
主権在民のこの国にあっては、天皇も皇室も私たちの統合の象徴である。一方、主権者は誰かと言えば、それはとかく失念されがちだが、私たち国民である。権力の座についているのは、天皇ではなく、私たちなのである。
冒頭に引用したアクトンの言葉は、この国の主権者に限っては免れ得るなどとはいえない。署名者の情報リテラシー、プラットフォームの管理体制など多くの教訓を残した事件であったが、何よりも問われているのは、私たち主権者の責任意識である。
私たちがその統合の象徴たる皇室に対して、どのような責任をとるか。それこそが問題の本質であると言える。