ニュースライト
「昨年9月6日に18歳の誕生日を迎え、成年になりました。これまで成長を見守ってくださった方々や、折々に支えてくださった方々に深く感謝申し上げます――」
令和7(2025)年3月3日、初めての記者会見に臨まれた悠仁親王殿下を拝見して、筆者は胸が熱くなるほどの感動を覚えた。
単に大きくなられたことが嬉しかっただけではない。カメラの向こう側にいるのが、自分を誹謗中傷する人ばかりではないと解っている――はきはきと原稿も無しに受け答えをなさるお姿を以て、そんなお気持ちを示されたように思えたからだ。
平成末期以来、秋篠宮ご一家は激しいバッシングに晒され続けている。悠仁親王殿下は当時まだ小学生であられたが、そんな多感な時期からずっと、本来なら子供を守るべき大人たちから心無い言葉を浴びせられてきたのである。お年の離れた姉の眞子さまが複雑性PTSDを発症されたことを思えば、立派に成長されたのもけっして当然のことではなかったはずだ。
だからこそ、皇室へのバッシングに対して、政府はもっと真剣に向き合う必要があるのではないだろうか。
単刀直入に言えば、皇室に対する度を越した誹謗中傷に対して、法律に則って名誉毀損で訴えることを、政府は大真面目に検討すべきだ。
戦後、皇室に対する誹謗中傷が幾度も繰り返されてきたことからすると、国民にはほとんど存在を知られていないのではないかと思うのだが、現在の刑法には「第34章 名誉に対する罪」の一部として、次のような規定がある。
「告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときはその国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う」(刑法第232条第2項)
すなわち、現在の秋篠宮ご一家の中でも、少なくとも皇位継承順位第1位の皇嗣であられる秋篠宮殿下については、誹謗中傷を行った者を首相が代理で訴えることができるのである。
しかしこの刑法第232条第2項は、昭和22(1947)年10月に導入されてから約80年もの歳月が流れているものの、実際に発動されたことはない。もはや死文化してしまっていると言っても過言ではないだろう。
なぜ、歴代首相は告訴に踏み切ったことがないのか。
それを知る手掛かりになりそうなのが、大平正芳元首相の回想録だ。彼は池田勇人内閣の官房長官を務めていた昭和36(1961)年当時「皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーッと向うまで転がっていった」などの描写が問題視された深沢七郎の小説『風流夢譚』について、次のように述懐している。
「首相と私は、つとに告訴権を行使しない肚をきめていた。それはこの事件を法廷の問題にすることは、皇室と国民の間柄を、冷たい法律とその論理によって律することになるからである」――『大平正芳回想録』(鹿島出版会、1983年)210頁。
また、昭和49(1974)年12月24日に、参議院議員の源田実による「皇室の尊厳維持に関する質問主意書」を受けて三木武夫首相が公表した答弁書も、大いに参考になるであろう。
「かえつて皇室にいらざる迷惑の及ぶおそれもあり、告訴については、慎重を期すべきものと考える。(中略)一般世人にとつては、およそ読むに堪えぬものであり、正にほうまつのごとく消え去るものと思われるので、あえて公的な措置をとらないのが良策と考える」
管見の限りでは、三木首相のこの「あえて公的な措置をとらないのが良策」という見解こそが、皇室への名誉毀損に対する歴代政権の姿勢を最もよく表しているものだと思われる。
皇室侮辱文書は「ほうまつのごとく消え去るものと思われる」から放置するという判断は、昭和の頃には確かに一定の説得力があったろう。しかし、はたしてSNSが隆盛するインターネットの世紀においても通用するものであろうか。
悠仁親王殿下のご進学先について、「東京大学なのではないか」という噂がまことしやかに語られていたことは記憶に新しい。
さて、この噂を受けて昨秋オンライン署名サイト「Voice」上で展開されたとある運動をご存じだろうか。東大のシンボルである「赤門」の名を冠する「赤門ネットワーク」なる者が、ご入学反対のための署名を募り始めたのだ。
根本的な話として、噂レベルでしかない段階で反対署名をし始める時点ですでにどうかしていると思うのだが、それすらも些細なことだと思えてくるほどに、この署名運動は常軌を逸したものであった。
「秋篠宮殿下が本当は上皇陛下のお子さまではない」という荒唐無稽な風説がある。これをもとに、同殿下のDNA鑑定を要求し始めたのである。
活動詳細に曰く、「皇統の血を引いていないなら、男系男子以前の問題になってしまい、皇嗣など吹っ飛んでしまい、H様ももう天皇にはなれないし、ならなくていいのである。そう、もう君は自由だよ!もう、東大なんて行かなくてもいいんだよ!」。
都市伝説そのものについてはまともに取り合う価値もないが、注目すべきポイントは、公式集計によればこんなものに1万人以上の署名数が集まったということだ。
複数のメールアドレスを利用すれば一人で何回も署名可能なため、正確な人数ではないかもしれないが、それでも相当数が参加したことは間違いあるまい。そしてその署名者たちは、誹謗中傷への同調者だとみなしてよい。
この署名運動は、ご実子ではないと証言したとされた旧宮家の竹田恒泰氏が「名誉毀損に該当します」と提訴の構えを示すという騒動にまで発展しており、それゆえに特筆性があるものとして取り上げた。あくまでも氷山の一角にすぎないが、この一例を挙げるだけでも、昨今の秋篠宮バッシングの異常性を示すには十分であろう。
皇室をお守りすべき組織でありながら、バッシング収束に向けての有効な手を打てていない――特に保守層からは、そんな風に宮内庁を批判する声も聞こえてくる。
確かに、宮内庁の対応が十分だとはお世辞にもいいがたい。
海外の宮廷にかなり遅れを取ってしまったとはいえ、情報発信がこれまで足りていなかったことを反省し、公式SNSの運用を始めたこと自体は素直に評価できよう。
伝統的に「慎ましく行動する」ことをモットーとしていた英国王室も、ダイアナ元王太子妃の没後に強い逆風に晒されたことを教訓に、積極的に発信する方針に転換した。宮内庁のSNS運用開始は、まさにこの英国王室の変化を想起させる。
しかしながら、そのSNS上でいまだに肝心の秋篠宮ご一家がほとんど取り扱われていないことは、率直にいって理解に苦しむ。一応、諸宮家の情報発信も検討していくという発表が昨秋にあったけれども、少なくとも皇嗣家たる秋篠宮家については当初から発信すべきだっただろう。
このように批判すべき点も見受けられるものの、ことバッシング対応に関しては、あまり宮内庁を責め立てるのも酷であろう。親告罪たる名誉毀損を訴える権限は宮内庁にないし、仮に情報発信がもっと精力的に行われていたとしても、この事態が収束に至ったとは到底思えないからだ。
そもそも論として、秋篠宮ご一家への誹謗中傷については、男系堅持か女系容認かという皇位継承論争に伴う「ネガティブキャンペーン」の要素が多分にあるであろうことを無視すべきではない。
皇室の長い歴史を紐解けば、歴代天皇の中には「狂気」とされる方が何人かおられる。即位礼の当日、高御座の上で性交に及んだと『古事談』などに語られる花山天皇(平安時代)がその代表例だ。
だが、このような天皇のエピソードは、本来ならば即位できなかったはずの後代の天皇を正当化するために、摂関家などによって創作されたものだと考えられている(倉本一宏『敗者たちの平安王朝:皇位継承の闇』)。
それから千年の歳月が流れ、象徴天皇制となった現代においても、皇室を取り巻く人々が考えることは大して変わらないというべきだろうか。
X(旧Twitter)などを見渡してみると、秋篠宮ご一家を中傷する側には、小室圭さんと眞子さんの婚約騒動の遥か昔から、女帝実現に向けて異常なほどの執念を燃やしてきた者が少なくない。現状ではそちらほど目立つ存在ではないものの、逆に男系主義者が愛子内親王殿下を中傷する事例もしばしばみられる。
不愉快ゆえにわざわざ詳述したくもないのだが、長い映像のほんの一瞬を切り取って皇族の目つきなどを揶揄したり、「発達障害」などと決めつけたりといった悪意に満ちた投稿が、ネット上には日夜溢れかえっている。
いわば、応援する皇族にご即位いただきたいという「推し活」のために、障害となる皇族を悪魔化する印象操作が日夜繰り広げられているのである。こんな状況が続くようなら、いずれデマによって憎悪を植え付けられた者が凶行に及ぶことさえありうるのではないかと危惧せざるをえない。
今年4月1日、高止まりしているインターネット上の誹謗中傷などに対処すべく「情報流通プラットフォーム対処法」が施行された。大規模SNS事業者に対し、権利侵害を受けた本人から申し出を受けたときに迅速に対応することを義務付ける法律だ。
事業者向けのガイドラインには、明らかな権利侵害がある場合には、本人以外の第三者による削除申請にも「速やかに対応を行うことが望ましい」とある。第三者でも構わないとされたのは好ましいことだけれども、削除だけではけっして問題の根本的解消には繋がるまい。
結局のところ、皇室への誹謗中傷が収まらないのは、どれだけ侮辱しようとも訴えられることはない――と考えられているせいでもあろう。だからこそ、誹謗中傷を思い留まらせる「抑止力」とするためにも刑法第232条第2項の活用が望ましいのである。
むろんタイ王国における不敬罪のごとく濫用することは禁物だが、今でもごくたまに王室に対する名誉毀損が法廷に持ち込まれるヨーロッパを少しは見習ってもよいだろう。近年でいえば2020年、オランダのマキシマ王妃を「クソ売女」「人殺しの娘」などと侮辱した男に対し、裁判所が40時間の社会奉仕活動を命じている。
現在の日本政府にとって最も参考になるのは、イギリス国王ジョージ5世――前女王エリザベス2世の祖父にあたる――が重婚をしているという長年の噂を事実だと断定したパリのほぼ無名の新聞『解放者』に対して、英国政府が毅然とした措置を取った事例ではないだろうか。
「かえってことを有名にしてしまう愚を懸念しないわけではなかったが、国内の配付先には下院議員まで含まれていたという事情もあって、チャーチルら自由党政府の一部閣僚は、記事の筆者を名誉毀損罪で逮捕し、裁判にかける方針を貫く。翌年開かれた裁判によって、重婚は事実無根で、国王は不当に名誉を毀損されたことが確認され、国民の同情も国王に集まった。」――水谷三公『イギリス王室とメディア:エドワード大衆王とその時代』(筑摩書房、1995年)37頁。
皇室の方々は「生身の人間」であり、制約もあれども国民の一員として「憲法上の基本的人権の保障は受けておられる(※政府見解)」ことを忘れてはならない。
ネット普及率からして戦後最も苛烈であることがほぼ間違いない、昨今の秋篠宮殿下へのバッシングに対してすら法的措置が取られないのであれば、刑法第232条第2項はいったいどんな状況のために用意されたというのだろうか。